たまうさぎ

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中外抄と富家語

「新日本古典文学大系32」という本を借りてみました。
こんなん読むの初めてだな。
「中外抄」中原師元と「富家語」高階仲行という人たちが書いた、
忠実パパ(國村準さん)の言談の記録だそうです。
「富家語」はふけご。パパふけ殿って呼ばれてたんだって。






中外抄 上 三
出衣(いだしぎぬ)は、また人の体よく見ゆることなり。しかるに、近代の人は出衣を見せ縁などのやうに表衣、直衣(うえのきぬ、のうし)などのうしろより出だしたるなり。これ案内を知らざるなり。後は見えずして左右のツマの四、五寸も六七寸も出だしたるなり。

最近の若いもんは、後ろから出衣ずるずる出してだらしのない…ブツブツ
いつの世でも若者とおじさんの間には美意識のギャップが生じるのですね。


中外抄 上 一三
当時の大殿(忠実のこと)の童御名は牛若君なり。京極大殿の御記にいわく「正月一日。衣冠を着す。人々餅を頂くことあり。先ず寛子同々、次に□、次に牛丸。牛丸は名なり」

うしまる・・・って可愛い名前なのでしょうか。
正月の吉日に、小さい子供の頭に餅を載せて前途を祝う儀式なんだそうです。
小さい忠実パパが餅を頭に載せてもらう。。可愛い。


中外抄 上 八三
「日記はあまたは無益なり。故殿の仰せには日記多ければ思い交じりて失礼をするなり。と。・・(略)・・その故は「摂政関白、主上の御前にて腹鼓打つ」と云うとも用いるべからざる故なり。また日記はくわしくは書くべからざるなり。人の失また書くべからざるなり。ただ公事をうるわしく書くべきなり。」

日記は個人的感情を入れず。面白エピソードなんか書いても後から何の役にもたたぬ。
日記はくどくどと詳しいことは書かず、他人の失敗も書かず、ただ整然と公事をかくこと。

頼長の日記を読んだらひっくりかえるど。


富家語 一八四
「故信雅朝臣は面は美くて後はすこぶる劣れり。男は成雅朝臣なり。成雅は面は劣りて後の厳親に勝るなり。これに因りて甚だ幸ひするなり」
って、パパ何言ってんですか!

故信雅は顔は美しかったけどケツは全然で、
その息子の成雅は顔はブサイクだったけどケツが良かったんで、めちゃ可愛がった。と。
というか、これ絶対雑談でしょ。
なに記録してんですか?

この成雅という人が乱闘事件を起こした時、頼長が厳罰に処したところ
パパが激怒して、頼長が宇治に来るのを半年間許さなかったんだそうです。。
よっぽど可愛かったんだね。ブサイクでも。
というか、美男のお父さん後はすこぶる劣るって、ヒドい言われ方やね。


富家語 二五○
左府(忠通の息子 基実)の申したまいていわく
「人のために忠節を致す事は無益のことなり。おおよそそれが顕はるる事もなきなり」と。
仰せていわく
「恩報を求めて忠節を致さば、さらに報禄あるべからず。ただ空しく忠を尽くすなり。しからば自然にその禄を蒙らむか、これ予のなすところなり」

「他人のために何かしたって何にもならないしー」と言う孫。
「見返りを期待して行動しても何も帰ってくることはない。ただ無心に忠を尽くしなさい。そしたら自然に自分に帰ってくるんだよ。私はそうしてきたよ」


とんがった若い孫に優しく諭すおじいちゃんですねー。
この孫も二十代で夭折してしまいましたが、忠実じいちゃん死亡(85歳)後のことでした。
見ないで済んで良かったね。
しかしこの時代に85って、めちゃくちゃ健康体だったんですねー。
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by kokiti01 | 2012-05-29 16:49 | 読書